学校法人 大覚寺学園 嵯峨美術大学 嵯峨美術短期大学

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University Introduction

教員紹介

藤川 桂介    ふじかわ けいすけ
FUJIKAWA Keisuke

客員教授

藤川 桂介
担当科目 メディアデザイン概論、シナリオ制作論、メディアデザイン基礎実習、メディアデザイン専門実習
専門ジャンル 歴史小説、アニメーション作品脚本、特撮作品脚本
研究および制作テーマ 小説では、古代の精神的な風土と現代との接点を探ること。
映像では、良質なエンターテイメントの開発をしつづけたい。
学会・団体 日本文芸家協会会員、日本ペンクラブ会員、日本放送作家協会会員、日本脚本家連盟会員
メッセージ

いつまでも現実に流されずに、心に詩を持ちつづけ、心は少年でありたいと思っています。素朴な探究心を忘れずに、未知の世界との遭遇を楽しみにしていきます。

研究および制作活動の概要

「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」「マジンガーZ」「グレートマジンガー」「ムーミン」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」「怪奇大作戦」「マイティジャック」「ダークファンタジー ウルトラQ」「ウルトラマンマックス」「宇宙鉄人キョダイン」「秘密戦隊ゴレンジャー」「わんぱく大昔クムクム」「超電磁ロボ コンバトラーV」「UFOロボ グレンダイザー」「新鉄人28号」「新鉄腕アトム」「天才バカボン」「アンデルセン物語」「さすらいの太陽」「星の子チョビン」「キューティーハニー」「ムーミン」「ワンサ君」「マリンスノーの伝説」「鋼鉄ジーグ」「マグネロボ・ガキーン」「超人戦隊バラタック」「一休さん」「新・エースをねらえ!」「チルチルミチルの冒険旅行」「どんべえ物語」「吠えろバック」「さすらいの少女ネル」「1000年女王」「氷河戦士ガイスラッガー」「プライムローズ」「ウインダリア」「プラレス3四郎」「六神合体ゴッドマーズ」「キャッツアイ」などの日本を代表するテレビドラマ、特撮映画、アニメーションを、常にプロデューサー的立場で歩んできた脚本家。
一千万部を越す超ベストセラーとなった大河歴史ロマン「宇宙皇子(うつのみこ)」シリーズ(角川書店)で本格的に作家へ転身。この他に、代表作は「篁・変成秘抄」「紅のサザンクロス」「シギラの月」「天翔船に乗って」「月の都、京都」(平安京をめぐる旅)「伊勢物語外伝 憑依する在原業平」「時代が見える プロファイル脚本術」など、著書多数。2013年3月、第九回東京国際アニメフェスにおいて、脚本部門功労賞受賞。

研究および制作活動の報告

2013・7・10 シナリオ会館

シナリオ新世代に提言 雑誌「ドラマ」対談

ベテラン脚本家で、小生といろいろと縁のあった雪室俊一さんと、これからシナリオを書こうとしている人たちのために、先達として感じていることを、率直にかかろうということで行った、提言、直言です。

2013・7・27 虎の門

高知大学主催スキルアップ支援の会・講演

社会人にスキルアップの場を作ろうという組織が主催して、社会人に対して行う講演で、今回は「わたしのヒットメイク発想法」という、独得な発想のあれこれを講義しましましたが、書く会社の中間職の人々が参加してこられました。ヒット作を作るために、どんな工夫をしていたのか、どんな葛藤をしてきたのかを、自作の例を挙げながら講義した。

2013・10・13 杏林大学八王子校舎

杏林大学学園祭・講演

市民参加の学園祭です。拙作「セブン暗殺計画」〈前・後編)を上映しながら、「今だから話せる(セブン暗殺計画)の裏話」というテーマで、脚本家が視聴者を飽きさせないために、どんな工夫をするのかということを、二時間にわたって話します。市民も学生にとっても、興味のある講演になるでしょう。

2013・10・10 映人社

「時代が見える プロファイル脚本術」出版

脚本を書きたいと思っている人は、かなり存在しています。若い人はなおさらです。ところがそんな人のための手引きになるような本が存在していません。これまでの作法物というのは、あまりにも専門書であって、よほどの知識がないと、読みこなせません。そういった困難を解消するために、大学での講義を通して得たワイ人の反応などを紹介しながら、世代の差がある人々にも、気楽に読んで頂けるような読み物にしてみました。世代を超えて、対話をして頂けたらとも思っています。ちょっと変わった作法物です。

2013・9・17 河出書房 出版ワークス

「宇宙皇子」(うつのみこ)シリーズ 復刊始まる

1800年代から1900年代に「かけて、1000万部を超える大ベストセラーとなった、古代を背景にした、若い世代に向けた歴史小説です全50巻になる大作であったことから、完結した後で、しばらく絶版状態にあり、復刊は困難と思われていたのですが、熱心な新たな出版社のお誘いで、読者の希望にこたえることができることになりました。イラストも変え、「あとがき」も書下ろしとして、復刊に備えました。は足りて現代では、どんな反応があるでしょうか。

2013年4月20日 神戸ホテルオークラ・チャペル

なぜアニメを書いたのか

第九回東京国際アニメフェスの脚本部門の功労賞を受賞したということが、マスコミで報道されたことがきっかけで、神戸の文化人の会が招待して下さり、表現知事、神戸市長も参加して下さって正解でしたが、作家を目指していた私が、どうしてアニメーション作品の脚本を真剣に書いてきたかという、これまで明かさなかった目標について話させて頂きました。嵯峨芸大での若者ちと、どう接しているかということにも、触れられたと思っています。

2013年4月3日 東京渋谷エクセルホテル

古谷徹氏と対談

拙作「宇宙皇子」という古代史小説が、50巻という大作のために、復刊は困難と思われていたのですが、関西の新たな出版社から、熱心な誘いを頂き、いよいと今年7月から復刊が始まります。
それにあたって、かつてアニメーション化された時の主役を演じてくれた声優の古谷徹氏と、かなり楽しい対談を収録いたしました。
目下彼はガンダムの主役でも大変人気を得ていらっしゃいますが、嵯峨芸大で私の教え子であった新人声優の羽瀬絵里奈とも交流しているという話も聞いて、大変うれしい対談になりました。

2013年3月23日 東京ビックサイト

第九回東京国際アニメフェス 脚本部門功労賞受賞式

思いがけず、事務局から連絡があり、今年度の脚本部門の功労賞を受賞しました。都知事の賞状と銀杏の葉をかたどったガラスのカップを頂きました。もうすでに小説の世界に身を置いているのですが、かつて30年余もアニメーションの世界にあって、「宇宙戦艦ヤマト」をはじめ「マジンガーZ」「銀河鉄道999」「ゴッドマーズ・17歳の伝説」という超ヒット作品を生んできたこともあって、その功績を評価してくださったのでしょう。それは脚本家としての地位向上にもつながったはずです。授賞式にあたって、本校の竹内オサム先生が奥様、お子様同伴でわざわざ出席して頂き、感謝しております。その後杉並区のアニメーション・ミュウジアムから依頼があり、インタビュウを流したいというので、ビデオ撮影をして、若い人へメッセージを録画いたしました。

2012年12月30日~2013年1月3日まで WOWOW・円谷

「漫画家桂正和氏と対談」

「ウルトラセブン」誕生45周年を記念して、WOWOwでは記念の番組編成をしているのですが、拙作「セブン暗殺計画」(前後編)の人気が今も衰えずにいることから、記念番組の放映中に、漫画家の鬼才桂正和氏と対談が12月5日に行われ撮影されたものが放映されます。
若い頃書いた作品が、今もなお人気を保っているということはうれしいことですが、宇宙人の集団と、地球の平和を守るウルトラ警備隊との知恵比べは、まさに現代の駅伝、集団行動、ブラスバンド協議といい、集団による活動に注目を集めているということを考えると、まさにセブン・ナウであります。人気の秘密は、そんなところにあるのではないでしょうか。

2012・4~2013・3 映人社月刊誌 「ドラマ」

「連載開始」

これまでの技術論だけの作法ものでなく、一般の読者にも読んでもらえるような「時代が見える 脚本術」というものを、一年間連載します。小説、脚本を書きたいと思っている学生も多いので、これは授業の補助になると思っています。これまで接してきた学生が、書くことに、どんな反応をしてきたのかも含めて書かれています。いろいろ参考にしていただけたらと思います。
連載に先立って、若手脚本家の小林雄二さんと、対談を行いました。

2012・3 ラジオ日本

「カフェ・ラ・テ出演」

3月3日、8日の深夜である午前三時からの、日本放送作家協会提供のトーク番組「カフェ・ラ・テ」に出演。小生の少年時代から、作家を目指す時代から、ヒット作品を生むに至った話を一時間にわたって語り、大学生、中高年の聴取者から、かなり反響がありましたが、エリヤが関東を中心としたところであったので、関西では聴取不可能で残念でした。しかし小生が嵯峨芸術大学の客員教授であることも紹介されましたので、関東の皆さんにも広報活動ができたなと思っています。

2011・11 近鉄ニュース

「近鉄ニュース公開」

今月、公開されました。いわゆるフリ-ペーパーというものですが、近鉄の各駅に置かれるので、20万部も刷るようで、かなりその読者もいるようです。カラーのきれいな新聞で、もう読んで下さった方もあるでしょうが、11、12、1月の25日に出ることになっております。教授の皆さんはもちろんのこと、通学の学生にも、気が付くことがあるかもしれませんね。

2011・10 キングレコード

「ブルー・レイパッケージ」

1800年代の大ヒット番組で、長期放送を続けた、「ゴッドマーズ」という作品が、超完全版という形でブルーレイの六枚組のパッケージとして発売になりました。私はこの作品のメインライターであったのですが、今年の夏前から、パッケージの購買者へのサービスでつける脚本家たちとの対談CDへ参加したりしました。かつての人気作品が、最近連続的に再発売されることが多く、そのたびに取材を受けることになり、多忙を極めています。この作品のほかにも、「ダンクーガ」という作品も何枚ものDVDになって発売されました。秋には特撮作品のウルトラセブンから「セブン暗殺計画(前後編)」が、私を取材したムックと共に、DVDとして再発売になりました。今年は当時若かったファンが、社会人として、指導者の立場になり、当時の熱い思いが甦ってきているのでしょう。

2011・10 筑波大学

「放送大学講義」

春に続いて、秋の面接講義を集中講義で行いました。年齢層は20代から70代まで多様ですが、中心は30代から50代の社会人たちです。彼らの目的は多種多様ですが、知識吸収への意欲は大変なもので、わが嵯峨美大の学生たちにも、何かに取り組む姿勢に、楽しみながら、どう意欲的になるかを、注入していきたいと思いました。制約のない今のうちに、精一杯知識を取り組んでもらいたいものです。放送大学の講義を終えて、感じたことでした。

2011・7 近鉄ニュース

「古代エッセイのこと」

突然、近鉄ニュースから、原稿執筆の依頼があり、承知しました。古代の著名な皇子、大津皇子に関するエッセイを、11月から三回連続で買い手ということでした。かつて飛鳥は取材で駆け巡ったことがあり、8月なったら執筆を始めるつもりです。

2011・6 有響館

「京の美意識の件」

京の美意識の市民講座で、「月の宮お、京都を探検する」という講演を行ったが、有響館の大教室は超満員になりびっくり。市民はもちろんですが、学生がかなり集まってくれたのは嬉しいことでした。講演後の書籍の販売とサイン会は、あまり参加者が多くて、びっくりしたり、感激したり。その中に名古屋からわざわざやってきた中学生があり、図書館に置いてあった小生の図書を見て、どうしても会いたかったということでした。ことの他嬉しいことでした。

2010・10・5 淡交社

「月の都、京都」出版

数年間、京都の歴史をたどりながら、歴史の中に都の成立には謎が秘められていることに気づき、取材を重ねてまとめた。京都の新たな魅力を開発することができたと確信しています。

2010・10 神戸湊川神社

「観月祭講演」

拙著「月の都、京都」(平安京をめぐる旅)を基本にした、月をめぐる謎について講演を行った。

2009・6 神戸文学館

「わたしのSF作品の書き方」

SF作家月間の講演に呼ばれて、私の創作の発想法について、市民を対象にした講演を行った。

2008・10 大学・博物館

「藤川桂介展」について

私のこれまでの活動の中から、アニメーション、特撮映像作品を中心に、小説へ移行するまでの30年を超える創作作品を中心に、若い学生たちに公開することに舌もですが、何といっても学生たちが自主的にその作業を担当して、展示に関しても工夫して行ったもので、大変意義深いものでした。また機会を見て、小説作品に関しても、イラストを含めて公開したいと思っています。このような試みは、芸術大学として、極めて貴重であり、大事なことのように思われます。

2008・5・5 テレビ神奈川

「脚本を語る」

「佐藤しのぶ出逢いのハーモニー」という番組にゲスト出演。これまでのテレビヒット作品を語り、その創作の思いを語った。同番組は、関西エリアでも京都放送、神戸サンテレビ、大阪放送で放送された。

2007・10 TBS・毎日放送

「TBS番組出演」

秋の特番として企画された「ご起源さん」という番組で、今回は「ガッツポーズを最初にした人は誰?」というものなのですが、わたしの書いた「セブン暗殺計画」(前後篇)の中に登場する、地球を制圧しようとするガッツ星人が登場します。しかし彼は、なぜかガッツポーズをしないのです。その謎を取材しようというのでしょう。これまでガッツポーズはほとんどフィジカルな分野でしか使われませんでした。つまり根性ドラマと言われる、野球、バレー、柔道、ラグビー、レスリング等々です。わたしの書いたガッツ星人は、ウルトラセブンを打倒するために登場する異星人ですから、力ではなく、メンタルな力で圧倒してくるのです。たとへばメンタル作業をする作家などが、書斎でガッツポーズなどをしているなどということは聞きません。本来、ガッツというのは根性という意味を持っていますが、そうした内面的なものに使われるよりも、むしろスポーツ関係で使われることが多いのではないでしょうか。放送は11月です。果たしてどんな結論になるでしょうか。ファンから贈られた、わたしが所蔵している、フィギュアーと共に出演いたします。

2007・9 プロダクションTMS

「東京研修」

一年生を中心にして、今後の勉強の示唆ともなることに役立てようと、企画されたものであったが、参加者は付き添いの教授を含めて50人という、大変な数の研修となりました。小生は東京で合流し、現地で待機していました。TMSの好意で、学生をA班、B班に分けて、会議室を中心にして新入社員の研修用DVDを視聴。アニメーションの歴史、制作過程、ヒット番組などを視聴。企画文芸チーフによる案内と説明で、デジタル作品の制作を見学。かなり学生には刺激となったように思える。そのあと合同で、企画文芸部長からのアニメーションの現状とアドバイスがあり、さらに現在実際にTMSで制作にかかわっている嵯峨芸大出身者の紹介と挨拶があったりして、これからの学生にとっては、貴重な収穫を得たことでしょう。更に文芸担当者から、保存していたセル画が寄贈されて、研修力としては、非常に得ることが多かったし、一年生にとっては、これから更に学ぶ意欲が掻き立てられたのではないかと思っている。

2007・9 TBSテレビ

「テレビ取材の件」

局へ出向かずに、「ご起源さん」という番組へ出演することになりました。ものの起源を辿るという、極めてまじめな企画を、楽しめるように仕立てた番組で、私にとっては、京都嵯峨藝術大学へ奉職いたしましてから、はじめてのことで、関東ローカルではあっても、いささか貢献できたかなと思っているところです。「ガッツポーズを始めたのは誰か」というその日のテーマでしたが、私がかつて書いた、ウルトラセブンに、ガッツ星人というのがあって、それが縁で取材を受けたのでした。それを見た知人たちから、かなり反響があったことをお知らせしておきたいと思います。

2006・10 中日新聞・東京新聞

「アニメ大国の裏事情」

昨今、マスコミでは、盛んに「アニメ大国」ということを取り上げています。今や日本のアニメが世界的な広がりの中で、もてはやされているということが取り上げられるのですが、果たして実態はその通りなのであろうかということで、中日新聞から取材を受けました。目下のところ、アニメはキャラクターが中心で、そのためにどうしてもコミックの原作者ばかりが取り上げられてしまうけれども、本当は人気アニメーションを作るには、有能な脚本家やアニメーターの存在なくしては達成できないのです。そのへんに視点を合わせてきたのは、記者の慧眼だと思い、取材に応じたのでした。そしてその中で、来年から嵯峨芸大でわたしが教鞭をとるということにも触れてくれましたので、お知らせいたします。

2006・8 明治学院大学

「私学研修会の講演」

数年前に一度行った事があったのですが、先年、また私学の小学校で美術、図工の教師をしていらっしゃる方々に、映像作品、特にアニメーションについての、お話をすることになりました。アニメの作られ方はもちろんですが、ヒット作品がどのような作られ方をするのかというようなことを中心にして、肩の凝らない話をするのですが、最後の質問コーナーでは、年下の教師たちをどのように説得すればいいのかなどという、大変難しい話にもなります。しかしわたしたち作家は、視聴者や読者を、如何に上手に説得するかということが、成否を分けることになるわけで、家庭でも親子の対話の持ち方を工夫しないと、対話は拒否されてしまいます。何をするにしても、説得の技術を磨くべきだという結論を導いて、研修会は終了したのでして。

2006・5 小学館

「思いがけない出版」

わたしがまだ新人脚本家であった頃のことである。新人女性漫画家のために、マンガの原作を書いてくれないだろうかという依頼が、小学館からきた。どんなことにも挑戦したいという意欲満々の頃のことである。ちょうど若い薄幸の演歌歌手、藤圭子が脚光を浴びてデビュウしたところであった。出生した時から運命の悪戯で翻弄されて成長した少女が、歌手を目指して葛藤していく話であった。重役はこの企画を編集担当から聞いて、音楽はマンガのネタとしては好ましくないということで、かなり難色を示されてしまった。もちろんそんなことで諦められはしない。わたしは必死で説得をした。つまり音楽そのものを書くのではなく、少女が必死で歌手を目指して這い上がっていくドラマが書きたいのですから、きっと読者は乗ってくれると思いますということだったと思います。渋々ではあったが、結局許可が出て連載が始まったが、わたしの狙い通りヒットした。そして連載終了と同時に、フジテレビで映像化された。わたしの始めての映像化作品である。小説(朝日ソノラマ刊)も、この時はじめて書くことになった。思い出深い作品であったが、あれから30年近くたってから、読者の間では大変高価な値段になっているということが、マスコミからの連絡でわかった。しかしもう昔の作品なので、とても手に入れられることはないと思っていた。ところがそれから間もなく、オンデマンド出版という方法で出版したいという申し出が小学館からきたのである。話には聞いていたのだが、読者の希望が集まれば、こうした形で出版が可能なのだと言うことを、実際に体験することになった。これは昔の出版感覚ではあり得ないことであった。時代は動いているのだなということを、鮮烈に感じ取ったのであった。

2006

「似顔について」

この似顔は、思いがけないことから誕生したものでした。作者の永井豪氏は旧知の漫画家で、「マジンガーZ]を執筆して以来、親しくお付き合いしている人であります。しかし小生が小説へ活動の場を移してからは、パーティの場でお会いするしかなくなっていました。ところが三年前のこと、彼のアシスタントで、テレビ番組を進めている時、永井氏のキャラクターをプロデゥーサーと脚本家の私のところへ運んできてくれた人が若くして他界してしまわれました。その彼の通夜の席で、永井氏と久しぶりに出会ったのです。そこで私が前に作った名刺に刷り込まれていた、イラストレイターの描いた似顔が、悪相なので、私が描きますと申し出てくれたのがきっかけでした。そんなことから、あっという間に送って下さったのが、この似顔でした。現在は私のHPの表紙もこの似顔になっているのですが、実に思いがけない出会いから誕生したものでした。

2000 東京書籍

「落葉帰根」

これは中学の「道徳」教科書の副読本に収録されているわたしのエッセイである。木の葉は緑豊に茂って、人々の憩いの場となって感謝されるのだが、やがて秋にでもなれば、ひらひらと枯葉となって散っていくのだが、それらがまったく意味がないとかんがえるのは、大きな考え違いである。それらの枯葉は、また幹の生命を維持し、更に育てるために役に立っているのだ。決して一枚の木の葉でも、無駄な・・・意味のない木の葉は存在しないということを書いたものである。つまり、この世に生をうけて、意味なく存在する生命はないということである。これはかつて「宇宙皇子」という小説の中に書いたものを、「天翔船に乗って」という歴史エッセイの中にも入れたものであったが、まさか教科書の副読本に収録されるとは思ってもいなかった。大変地味なもので、ほとんど一般には気づかれないままであるが、もう二度も掲載が更新されているのだ。わたしは大変満足している。そしてもう一つ。思いがけないことでエッセイが使われていることを知らされたことである。某予備校の試験問題として、「君が輝いて見えるとき」というエッセイが使われているのである。もちろんこれは使用前に許可願いが申請されてきたのであるが、まさか予備校などで、わたしのエッセイが使われるとは思ってもいなかったので、これも毎年使用願いが更新されていて、誇らしくも思っているものである。激変していく時代を思うにつけて、これからも、さまざまな形で若い人々の指針となったり、心の支えとなるようなものが送り出せたら嬉しいのだが・・・。嵯峨芸大の生徒の中にも、中学時代にこんな副読本のお世話になっている人もいるのではないだろうか。

1984~2000 角川書店

「原稿への思い」

厳密に言えば、小説を書き始めたのは、もっと前だが、それは大分出版されているとはいっても、あくまでもそれは習作時代であったと位置づけている。「宇宙皇子」で本格的に小説を書き始めたのだが、その頃は時代が大きく変っていく頃で、筆記用具にしても、生原稿からワープロでの執筆へ、やがて更にコンピューターへと変化してきた。わたしはもちろんのこと、映像作家時代は、原稿用紙に鉛筆で脚本の原稿を書いていたが、その途中から小説も書くようになり、ワープロを採用していった。そして更に時代の変化もあって、わたしは映像作家から、所謂作家に転進した。そして原稿は初心の頃の思い入れであったのだが、生原稿に鉛筆とか万年筆で原稿を書くことにした。その作品への思い入れが、一字一字書くに従って鉛筆の先から伝わって、原稿用紙の升目に写されていったように思います。途中からは、作業に追われるために、ついにわたしもコンピュウター作業に切り替えたのだが、今でも生原稿への思いは残りつづけている。作家の熱い思いが、作品をいとおしく思うぬくもりが、伝わってくるような気がする。今でもその生原稿は、大事に残してあるが、それはわたしのある時期を象徴するモニュメントでもある。

1957 放送劇コンクール全国大会脚本賞受賞作品

「思い出の脚本」 2

「風」は劇作家飯沢匡氏に評価されて、関東大会で優勝。「フィアンセ」は劇作家の田中千禾夫氏に詩劇としての評価を得て、大学の全国大会で脚本賞を受賞しました。この二作品が、私をプロ作家へと突進する勇気を与えてくれたことは間違いありません。いえ、もしこの二作品と、それに対する劇作家の評価がなかったら、就職もせずに、プロ作家へと突進することはできなかったでしょう。特に「フィアンセ」の全国大会での脚本賞受賞は嬉しかった。学生とは言っても、その全国でNO1になったということは、実に誇らしいことであった。わたしにとっては、絶対に忘れ得ぬ作品です。過日大学でこれを復刻してくれて、後輩たちの励みになるようにと、保存してくれましたが、果たしてどれだけの後輩が刺激を受けてくれるだろうか。多少、不安も感じながらも期待している昨今です。しかしそれにしても、その後映像の世界で書いてきたエンターテイメント作品と、大真面目に若者の心情を描こうとしてた学生時代の作品とはかけ離れています。しかしプロになってからも、さまざまな形で若者に影を落とす時代を書こうとしてきました。それにしても、人生というものは判らないものですね。目指そうとしていた方向とは、まるで違った方向へ歩いて行ってしまうもののようですね。めぐり合いの不思議というものでしょうか。もうこの頃・・・大学三年の頃になると、筆名を使うようになっていたことが判る台本である。

1954 大学放送劇コンクール関東大会優勝作品

「思い出の脚本」 1

わたしには、忘れられない作品が二つあります。大学時代に書いた、「風」という作品と、「フィアンセ」というラジオドラマ作品です。特に前者は、大学へ入った年に、はじめて書いたドラマで、まだまだラジオドラマのことを、ほとんど知らないまま、ラジオを聴いて自己流で勉強していたにすぎないものであったが、思春期の青年の、母との葛藤を通して、マザーコンプレックスを書いたもので、劇作家の飯沢匡氏に評価されて、関東大会で優勝することが出来たものであった。これが忘れられないのは、このコンクールがきっかけで飯沢家へ出入りできるようになり、その後長いお付き合いが生まれるきっかけとなったからである。厳しい人であったが、わたしは飯沢氏から、ドラマを書くということを、さまざまな角度から教えて頂いた。忘れることのできない作品である。脚本の表紙には、まだ本名がプリントされているのが、懐かしく思える。