学校法人 大覚寺学園 嵯峨美術大学 嵯峨美術短期大学

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専任教員によるリレーコラム

「芸術の力」20 不便さ

芳野 明(嵯峨芸術センター長、芸術学部教授)
 春休みを利用して一週間ばかりイタリアに行ってきた。何点かの作品について、その細部を詳細に確認する必要があったからなのだが、実はもっと切実な理由があった。それは血の浄化である。こんなことを書くと、何か怪しげな宗教儀礼でも受けに行ったのかと思われてしまうかもしれないが、もちろんそうではない。街の空気を吸い、ものを食べ、歩き回り、人と話しというただ日常的な生活をすること、それが自分にとっての「浄化」になるのだ。

 若かりし頃フィレンツェでの留学を終えて日本に帰ってきたとき、成田空港から当時は仙台にあった家に帰るまでのなか、なんとなく自分の血液の流れがどんどんと澱んだものになっていくのを実際に感じた。理屈ではなく、否応なしにどんどんと不純なものが自分の中に入り込んでくるのを感じた。

 フィレンツェは名だたる観光の拠点だったから、当時も多くの人々が街に溢れていた。それでもウッフィーツィ美術館やアッカデーミア美術館には並ばずに入れた。教会は宗教施設であり、祈りを捧げに来る人々、告解をしに来る人々のために朝早くから夕刻まで常に(昼休みを除いて)門扉を開いているのが当然だった。朝起きて支度をして出かける。途中でバールに寄って、カプチーノとブリオシュ(クロワッサンだけれどもイタリアではたいてい甘いシロップが塗ってある)で朝食を済ませる。それから授業に行くか、授業がない日は研究所に行って昼まで資料をあさる。いったん帰途につき、中央市場で「ニンジン500g」のように重さを言って食材を調達して、帰ったら調理して昼食。それからちょっと休んで、また研究所に行く。夕刻になって研究所が閉まると、仲間と近くの安食堂でワインを飲みながら夕食。平日はたいていがこのパターンだが、歩いている途中にいくらでも教会があって、その中は絵画や彫刻で溢れているし、だいたい街の建築物そのものが優れた美術作品だから、気のむいたときに本当にさまざまなものをじっくりと観察することができた。市場で売られている野菜はいつも「旬」のもので、きちんとした味がした。スーパーマーケットもあったけれど、どう見ても新鮮さに欠けるものばかりで、包装も過剰だし、その上に割高なのでよっぽどのことがなければ行かなかった。市場で食材や雑貨を買うときだけでなく、およそ何かものを買うときは店の人にかならず自分の欲しいものを告げねばならなかった。そういえば1シーズンだけ、フィレンツェのオペラ・ハウスの定期会員にもなった。確か日本円で2万円程度だったと思う。それで6回のさまざまなコンサートを聞くことができた。他のコンサートにもよく行った。千円くらいで超一流の演奏に触れることができた。日本にいるときよりは映画もずっとたくさん見た。

 いま思えば、あのとき自分は「良い」生活をしていたのだと思う。自らの脚で歩き、旬の食材を食べ、人と会話をした。コンビニなんかは存在しなかったので、ついつい夜中にカップラーメンや酒を買ってしまうこともなかった。日曜日は多くの店が閉まってしまうが、それは人がきちんと「休んでいる」証拠だと気づいてからは、何の不自由も感じなくなった。そうするうちに身体がきれいになっていって、音楽や美術を無理なく自然に受け入れていった。こういう人為的なものの介入をなるべく抑えた生活をおくった後に日本へ帰ってきて、即座に血が汚れていくのを感じたわけである。

 もちろんイタリアの生活がすべての人にとって「良い」と言っているのではない。それぞれの人にそれぞれの「良い」生活があるはずだし、日本にいても「良い」生活を送れることは言うまでもない。

 ただこの経験から確実に言えるのは、「便利」と「良い」はかならずしもつながらないということだ。イタリアは今でも日本に比べれば「不便な」ところが多い。列車は遅れるし、とつぜん運休になったりする。ストライキも多いから、移動にはいつもスリルがつきまとう。トイレに洗浄便座はない。歴史ある観光都市では街並み自体が古いから、道は狭いし石畳。だからスーツケースを転がして歩くのはほんとうに辛い。自販機も極端に少ない。それでもそれが当たり前になってしまえば、別に不便ではない。その代わりに身体が綺麗になるのなら、こんなによいことはない。東日本大震災の直後、われわれは「多少不便になってもかまわない」と思った。けれども今はどうだろう。人間は楽をしたがる。自分もそうである。楽な方へ楽な方へと道を選んでしまう。あっという間に元どおりになった今の生活を当たり前と思い、もっと楽になりたいとまで思ってしまう。マスコミでは震災後の様子がほとんど報道されなくなり、私のように関西にいる人間にとっては、ほんとうに遠い過去の出来事のようになってしまった。

 岩をとってそれを細かく砕き、膠や卵や油と混ぜて絵具を作り、布や板に石膏を塗ったりドーサを引いたりして滲みを止める作業をし、細い筆で少しずつ丁寧に描いていたあの時代。重い材料を高い位置に持ち上げるためにさまざまな道具を自ら開発し、多くの人々の大変な苦労を経て大建築を完成させた時代。そうした「不便な」時代に生まれた多くの芸術作品は、なんの作業もせずにすぐに描けるよう加工されたカンヴァスにチューブから絞り出しただけで適当な粘度と接着力を持つ絵具で描かれた絵画や、電動工具で削り出された彫刻、機械によって工場で成型された部材を組み上げていく建築に比べて遜色があるだろうか。

 よく言われていたことだが、道具は身体が影響を及ぼすことのできる範囲をどんどんと拡張していった。テクノロジーはその範囲を仮想の世界にまで広げている。自動運転機能に代表されるように、ほんらいは身体的にできないことさえも道具がしてくれるようになり、「身体の延長としての道具」の域を超えてしまってさえもいる。その恩恵によって「より新しい」芸術が生まれたことは確かだが、「より良い」芸術が生まれたかは疑問だ。私たちが目指すのは「より良い」芸術であるべきで、そのために何をすれば/しなければよいかを、じっくりと考えてみたい。

《夕陽のフィレンツェ》Photo by AY「芸術の力」20 不便さ:0