私たちの学園の設立母体となった大覚寺は弘法大師空海を宗祖と仰ぐ真言宗大覚寺派の本山です。奥嵯峨の風光明媚な地域に建つこの寺院は、平安のむかし嵯峨御所と呼ばれていました。お寺であって御所とはなぜなのでしょうか?
平安京を築いた桓武天皇の皇子であった嵯峨天皇は、みずからがこよなく愛した嵯峨の地に離宮嵯峨院を建立されました。天皇は当時を代表する文化人のひとりであった空海や多くの宮廷人とここで交流し、嵯峨の地に文化の華が開いたのです。天皇没後の876年、この嵯峨院は天皇の孫であった恒寂入道親王を開山として大覚寺となりました。それ以来、明治初期にいたるまでの長い間、大覚寺 は上皇や皇統にある人々が門跡(住職)を務める格式高い寺院として、その歴史を刻んできました。また、般若心経写経の根本道場であり、いけばな発祥の花の寺としても知られ、「いけばな嵯峨御流」の総司所(家元)でもあります。
大覚寺学園はこうした嵯峨天皇と弘法大師空海の思想と実践に学び、その精神を現代の高等教育に活かそうと建学されました。優れた文化をじかに体験できるこの大覚寺は、本学の「第2のキャンパス」ともいえるのです。