京都には三大念佛狂言と呼ばれる民俗芸能が伝えられています。それが壬生寺の「壬生狂言」、清凉寺の「嵯峨大念佛狂言」、そして引接寺=千本ゑんま堂で執り行われる「千本ゑんま堂大念佛狂言」です。「狂言」というと、多くの方は野村家や茂山家などが能の合間に演じる「能狂言」を思い浮かべるでしょう。しかし、「大念佛狂言」はその能狂言とはだいぶ趣を異にしています。大念佛狂言の特徴は、いずれも寺院で行われる宗教芸能であるということ、元来は講中と呼ばれていた信者集団によって演じられること、原則としてすべての役者が面をつけることなどがあげられます。さらに壬生と嵯峨はほぼすべての演目にセリフがなく、身振り手振りだけで芝居が進行します。また壬生には三十番、嵯峨には二十番の演目が残っていますが、嵯峨の二十番のうち十九番は壬生と共通のものです。
千本ゑんま堂大念佛狂言は同じ大念佛狂言でありながら、これらふたつの狂言と異なる部分があります。
その最大の違いはほぼすべての演目にセリフがあることでしょう。また演目についても、壬生や嵯峨に共通するものが少ないこともあげられます。その要因は、壬生狂言と嵯峨狂言の創始に深く関わっているのが鎌倉時代に活躍した円覚上人であり、ゑんま堂狂言については平安末期に活躍した定覚上人であるという言い伝えに関連していると考えられますが、現時点で明確に語ることは不可能です。しかしながら、狩野永徳が16 世紀末に描いた《洛中洛外図屏風》(上杉本)にもこの狂言が演じられている様子が描かれているとおり、長い伝統を有し、人々の耳目を集めていたことがわかります。
このように歴史的にもおおきな興味をそそられるゑんま堂狂言ですが、1974 年に起きた火災のために狂言堂を含め面以外のものがほぼすべて失われてしまいました。しかしながらこの厄災にもまけず、「千本ゑんま堂大念佛狂言保存会」が結成されて、その保存・継承に日々取り組んでいます。
本展は伝統芸能の「歴史的な」検証というよりも、私たちとともに「生きている」芸能としての千本ゑんま堂大念佛狂言の姿、保存・継承に取り組む保存会の想いを紹介したいという主旨のもとに企画されたものです。