HUFFPOSTというWeb上のニュースとブログのサイトをご存じだろうか。アナウンサーの長野智子氏が編集主幹を務めていて、リベラル系のよい記事が頻繁に出る。ここのアート関連の記事にはときどきたいへんに優れたものが登場すると思っているが、つい最近もおおいに考えさせられる文章が掲載された。
千葉大学の大学院生である笹本なつる氏による「痴漢騒動のブラックボックス展に感じた『アート無罪』という考え方の危うさ」(http://www.huffingtonpost.jp/natsuru-sasamoto/black-box-art-and-society_b_17327892.html)と、その記事のために笹本氏が行った神野真吾氏へのインタビューをまとめた「痴漢騒動の『ブラックボックス展』から考える"お騒がせアート"多発の背景とは?」(http://www.huffingtonpost.jp/2017/07/06/black-box-shingo-jinno_n_17401562.html)のふたつだ。詳しいところは実際に記事を読んでもらうとして、この「アート無罪」ということば、「アートの治外法権論」と言い換えたほうがわかりやすいだろう。ようするに「アートなら何をやってもよいのだ」という考え方だ。
そういう「アート」とは何なのだろう。神野氏は「今、何がアートの本質かっていうと、物や、存在の有り様の多面性が見られることだと僕は思っています。いろんな角度から眺めたときに、別の相、顔が見られるということ。それによって、対象の存在っていうものを別の形に組み替えるとか、捉え直すとか、そういうことの契機を与える、きっかけを与えるようなものだと思います。」と言う。全面的に賛成というわけではないが、一部のアート、たとえば「社会とのかかわり」を標榜するようなアートにおいて、これは正しい。通念をくつがえし、あらたなパラダイムの提示とまではいかなくても、対象に対する再考を促すようなもの、「どうぞ、もう一度考えてみてください」と訴えかけるようなもの、そういうものは確かに「よい」アートだと思う。
ところで、宮澤賢治の童話に『良く利く薬とえらい薬』(http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/4441_7305.html)という短編がある。病弱の母のために、ツグミやフクロウやヨシキリに励まされながら来る日も来る日も林の中でばらの実を集める清夫という少年の話。実があまり採れずに疲れはててぼんやりした時に、たまたまひとつのばらの実を唇にあてたところ、突然すがすがしい気分になる。それを持ち帰って母に与えたところ、病はたちまちに癒えた。これを聞いた偽金にせがね使いの大三という男。日頃から大食漢で体調がすぐれなかったため、自分もと実を採りに林へ行く。清夫には優しいことばをかけていた鳥たちが大男の大三をみて象だのフイゴだの皮の袋だのとバカにするのに応じて、林を「焼っぷくって見せるぞ」「あとで鉄砲を持って来てぶっ放すぞ」と脅す。いつまでたっても目当ての実がとれない大三はついに癇癪を起こして「ようし。おれも大三だ。そのすきとほったばらの実を、おれがこきへて見せよう。おい、みんなばらの実を十貫目ばかり取ってれ。」といって実を集める。そして持って帰った実を偽金工場でガラスと水銀と塩酸と一緒にるつぼに入れて真っ赤に焼いた。するとるつぼの中に透きとおったものができたので喜んでそれを呑んだら「アプッと」いって死んでしまった。できあがったのは実は「昇汞」(塩化水銀)という毒物だった。
孝行者で動物たちとも気軽に声をかわす清夫が得たのが「よく利く薬」。強欲で自信過剰の大三が得たのが「えらい薬」。この「えらい」というところに賢治のセンスを感じるのだが、最初に書いた「アート無罪」の記事を読んだ時にまっさきに感じたのが、どうもアートの世界にも「よく利く」アートと「えらい」アートがあるようだということだった。
ハフポストの記事では「アートだから」の名の下にピンポン・ダッシュをして出てきた家の人々を映像化する、「アートだから」、その空間の中で痴漢騒動が起きようと、火が出て人が命を落とそうとかまわない、そういう作品を「自分を安全圏において弱いものを傷付けるような作品」と言っていた。ここまで極端な例でなくとも、もしかしたら作品が倒れたり落下したりして、人にぶつかったり何かを破損したりしてしまうかもしれない、もしかしたら、一部の人々の心や身体を酷く傷つけるかもしれない、そういう配慮の足りない作品はそこかしこに転がっている。そういう作品に出くわしたときに思うのが「想像力の欠如」ということだ。
想像ということばには広い意味がある。日常的な使用の範囲で言えば「頭の中に思い描くこと。既知の事柄をもとにして推し量ったり、現実にはありえないことを頭の中だけで思ったりすること。」(『大辞林』[第三版])ということになるのだろうが、もとになった“imagination”には、「問題解決能力」とか「機転がきくこと」という意味もある。トラブルに直面した際に、その先を推し量って適切な対応をするということでのことだろうが、“imagination”がたくましければ、トラブルに直面する前に、起きうるトラブルを「想像」し、それが起きないようにすることができるわけで、単なる「問題解決能力」よりもずっと優れた能力ということになる。
「えらい薬」を作った大三は目の前の利をとるあまりに、その結果を想像できなかった。清夫は出会った動物たちとコミュニケーションをとりながら、ただ一心に、無理な近道をせずに、こつこつと薬になるものを探し、「よく利く薬」を見いだした。目の前の、ただ「やりたい」ことの実現だけにやっきになっているアートは「えらいアート」だと思う。広い意味での想像力を縦横無尽にはばたかせ、度量の広いアートを生みだしてもらいたいものだ。

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