物理学者たちによると、この世界を支配している力には、電磁力、重力、強い力、弱い力の4つのタイプがあるらしい。これらの違いについては、まず一般市民にはピンとこないだろう。
モノが落ちるという見慣れた光景から重力の存在は容易に実感できるが、電磁力は、それほど明瞭に確認しにくい。化学反応を起こしたり、分子をつくる力である。
原子のレベルの世界で作用する「強い力」と「弱い力」にいたっては、日常感覚からはるかに遠いので、想像すら困難である。いや、実は、重力だって、まずそういう知識があってこそ、説明がつくように感じるのであって、ニュートンが万有引力の存在を見出すまでは、モノが落ちていく光景に、物理的な法則として作用する力の存在など全く意識するひとはいなかったわけだ。
また、物理学者たちは、宇宙誕生時にさかのぼると、一つの力だけが存在したと主張する。となると、現在知られた4つの力も一つの源から枝分かれしたという経緯があったはずだが、その原初のひとつの力を説明できる統一理論は、未だ完成していない。この辺が科学的思考のいい加減なところで、推測が先行しているだけなのである。
そもそも力というものは、それ自体を単独に対象化して認識するのはむつかしい。並の人間としては、せいぜいが、それが及ぼす影響を五感で感知するしかない。
物理的な力とはちがう芸術の力となるともっと不可解だ。
芸術の力も、力そのものは不可視である。その力だけを標本として取り出すことはできない。それでも、美術作品や音楽に感動する経験をとおして、その力の存在をだれもが知っている。優れた絵画に出会ったとき、普段には感じない胸騒ぎを覚える。それは、血流を増し、神経回路における信号の量を増大させる。涙が出てきたり、心中に熱きカタマリの発生を感じたりするのも、この力の作用であろう。
芸術の力に、力学的法則に類した法則を見出せるものだろうか。
重力を媒介するゲージ粒子とされるグラビトン(重力子)みたいな粒子が、芸術力にも存在するものなのだろうか。それを増やす処方が見つかれば、成果のみえにくい芸術教育を経ずして、「錠剤にして飲む」だけで、この力を増強できるなんて妄想が現実化することになる。
ロシアの天才舞踊家ニジンスキーの跳躍力は重力に打ち勝つといわれてきた。さらに、彼の着地にむけての驚くべきスローな落下は、もはや重力を完全に征服しているとまでおもわれた。この身体芸術の超越的な力はどこからくるのだろうか。
我が国の芸術の水準は、これまでの歴史的成果が示しているとおり、決して低いものではない。数字が語るGDPで世界第3位の経済力を誇る国と評価されているが、芸術力においても世界トップクラスに位置していることはまちがいない。
しかし、残念ながら、当の国民の大部分が、はたまた日本政府が、そのような認識をもっているとはおもえない。芸術教育は、特に、初等、中等教育の現場では「芸術は娯楽、息抜き以上のものではない」という理解(誤解)によるのであろうか、ほとんど消滅しつつある。芸術大学においても、特段の芸術支援政策のない状況下、創作への意欲・関心をもったわずかな若者を求めて関係者は青息吐息の日々をおくっている。
日本の漫画やアニメが国際的にも高い評価を受けているという認識は広く共有されているようだが、そこに、我が国が長年積み上げてきた美への無形遺産である芸術の力が隠れている事実に気付いているひとは多くないようだ。
芸術作品をどう評価するかという、きわめて限定された知的作業によってでは感知しにくい芸術の力について、このブログで、筆者の気まぐれに遊ぶ悦楽をもおゆるしいただきながら、どこまでもまじめに、考察をこころみたいとおもう。





































